名古屋高等裁判所 昭和27年(ネ)49号 判決 1955年2月21日
控訴人(原告) 篠田善郎
被控訴人(被告) 三重県農業委員会
主文
原判決を左の通り変更する。
別紙第一号目録記載の第六号、字日要六九三番田二反六畝二十四歩中一反二十一歩及第二七号、字尾ケ谷二、八二九番田一反三畝二十二歩中三畝二十二歩につき昭和二十三年二月十一日花岡町農地委員会が樹立した農地買収計画に対する控訴人の訴願を棄却した部分に限り被控訴人の昭和二十三年七月二十八日附裁判を取消す。
控訴人の其余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審共控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は原判決を取消す被控訴人が昭和二十三年七月二十八日附別紙第二号目録記載の農地(同目録中各小作地及第六号字日要六九三の田二反六畝二十四歩中一反二十一歩)につき為した裁決を取消す、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とするとの判決を求め被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた、
当事者双方の事実上の陳述は左記の各主張の外何れも原判決事実摘示と同一であるから茲に之を引用する。
控訴代理人の陳述
(一) 控訴人が昭和二十三年二月十一日当時居町花岡町地内に所有した農地の地番、反別、自小作の別は別紙第二号目録記載の通りであつてその総反別は三町一反六畝十六歩、内自作反別一町一反七畝十九歩、小作反別一町九反八畝二十七歩である、右の中買収計画農地は甲第十一号証記載の二町一反九畝歩で而も右買収農地の中には農地と認むべきでない字水こき二、二九一番の水路及道路敷地となつている一畝二十七歩及字尾ケ谷二、八二九番の原野三畝二十二歩を包含する、従て右買収の結果控訴人の所有農地は僅かに一町三畝五歩を余すのみとなつた、尚控訴人の元所有農地原判決添付目録中の字砂田二六一番、二六二番、二六三番、二六五番計四反九畝十六歩は倉口常夫所有の別紙第二号目録記載(22、23、24号)の字根後一九九五番、二一九四番、字地具一、九九六番計五反四畝五歩と交換して花岡町農地委員会の承認の下に右倉口常夫の所有地は控訴人の所有地として買収計画により買収せられ、字根後一、九九五番及字地具一、九九六番は耕作者篠田晟に、字根後二、一九四番は耕作者阪井善一郎に夫々売渡されたので控訴人は結局右一町三畝五歩から前記字二六一番、字二六二番、字二六三番、字二六五番の計四反九畝十六歩を控除した五反三畝十九歩を保有するに過ぎない結果となつた。
松阪市大字久保の土地は控訴人の所有ではなく篠田晟の所有であるが仮りに控訴人がその三分の一の共有持分を有し且右土地の自作面積が一町八反十歩であるとするも控訴人の権利は右の三分の一に過ぎないから六反三歩であつて之に前記花岡町の所有農地五反三畝十九歩を加算するも一町一反三畝二十二歩となつて三重県に於ける農地保有限度二町二反以内であるから本件買収計画は不当である。
(二) また前記字尾ケ谷二、八二九番は田一反歩原野三畝二十二歩であるに拘らず花岡町農地委員会は右原野をも買収し被控訴人が之を認容したことは違法である、字日要六九三番は自作一反六畝三歩、小作一反二十一歩(小作人一ノ木勘右エ門)と被控訴人は主張するけれども右一ノ木勘右エ門は右土地を小作していない控訴人が全部自作するものである、然るに右一反二十一歩を小作地なりとして買収したのは違法である。
本件農地に関する買収計画並買収令書の発行は夫々同時且一回で行はれたものであることは争はない。
被控訴代理人の陳述
原判決に於ける被控訴人の事実摘示中原判決九枚目表二行目に被告とあるを花岡町農業委員会と訂正する。
本件買収計画は昭和二十三年二月十一日現在の状態を基礎としたもので控訴人主張の交換農地も交換後の取得農地を基準として買収計画を樹立した、而して控訴人が右計画樹立当時花岡町地内に所有していた農地の地番、反別、自作小作の別は別紙第一号目録記載の通りでその総反別は三町一反八畝十三歩、内自作地反別一町六反九畝十二歩、小作地反別一町四反九畝一歩で之に控訴人が松阪市大字久保に所有する自作地一町八反十歩の農地を加算するときは三重県に於ける農地保有限度面積二町二反歩をはるかに超過しその超過部分の範囲内に於て控訴人の花岡町地内に於て有する小作地一町四反九畝一歩は当然全部買収を受けるべきものであるから本件農地を含む全部の右小作地が買収されたのである。
控訴人主張の別紙第二号目録中小作人篠田晟とある分は実際は控訴人の自作地でその三男晟に此際自作農創設特別措置法の買収売渡の形式により登記名義変更の手続をして呉れとの依頼(登録税が安くてすむため)があつたので便宜之を容れて買収売渡計画を立てたものである、松阪市大字久保の土地は控訴人の所有地であつて篠田晟は控訴人の家族として右土地を耕作するものである。
本件農地に関する買収計画及買収令書の発行は夫々同時に且一回で行はれたものである。
(証拠省略)
理由
訴外花岡町農地委員会(以下町委員会と略称する)が控訴人所有の別紙第二号目録記載の農地中小作地及第六号字日要六九三番田二反六畝二十四歩中一反二十一歩につき昭和二十三年二月十一日(但控訴人は二月十二日と主張する)自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)の規定に基き買収計画を樹て之を公告したこと控訴人が右計画に対して右町委員会に対し異議を申立てたが棄却されたので更に被控訴人に訴願を提起したけれども同年七月二十八日棄却の裁決のあつたことは当事者間に争がない。
ところで控訴人は本件農地の買収計画は控訴人所有の自小作地が自創法第三条第一項第三号所定の保有面積を超えないのに右保有面積を犯して樹てられたものであるから違法であると主張するので此の点につき考察するに公文書であるから一応真正に成立したものと認められる乙第八号証の記載と原審証人間柄周太郎、丸島浅次郎当審証人岡野一太郎の各証言とを綜合すると右町委員会は昭和二十三年二月十一日現在の控訴人所有農地の面積を基準として本件農地等に対し買収計画を樹立したことが認められる(被控訴人は原審に於て当初本件買収は昭和二十年十一月二十三日当時の控訴人所有農地反別を基準としたと主張し其後に至つて買収計画樹立当時の所有反別によつたとその主張を変更し之に対し控訴人は異議を述べているが右証拠に照すと被控訴人の当初の主張は事実に反し錯誤に基くこと明白であるから右異議は理由がない)依て右買収計画が樹立された昭和二十三年二月十一日当時に於ける控訴人所有農地について検討を加えると、
(一) 当時控訴人がその住所のある花岡町地域内に於て別紙第一号目録記載(但第二、五号字水こき二、二九一番一反一畝二十七歩中一畝二十七歩を除く)の農地を所有していたことは控訴人の争はないところである、控訴人は右水こき二、九九一番一反一畝二十七歩中一畝二十七歩は水路及道路敷地であつて農地でないと主張するが自創法第十条に依ると農地の面積は農地委員会が土地台帳に登録した地積を以てその面積とすることを著しく不相当と認め別段の定めをした場合を除き土地台帳に登録した当該農地の面積によることになつており、成立に争のない乙第十号証の記載によると右農地の土地台帳登録面積が一反一畝二十七歩であることが認められ而も右除外事由あることにつき何等の立証もしないから控訴人の右主張は理由がない、而して前記乙第八号証原審(第一、二回)並当審証人岡野一太郎の証言、同証言により成立を認め得る乙第三号証乙第七号証乙第十二号証、成立に争のない甲第四号証甲第七号証乙第十三号証を綜合すると控訴人所有の前記農地の中本件買収計画樹立当時に於ける自作地小作地の区分は別紙第一号目録(但後記認定の如く第六号字日要六九三番田二反六畝二十四歩は全部自作地、第八号字日要六九五番田二反六畝十九歩中一反二十一歩は準小作地と認む)記載の通りであることが認められる、控訴人は右目録中字中瀬一、一九三番同一、一九五番字宮の浦一、二四四番字根後一、九九五番字地具一、九九六番、字水こき二、二九一番は控訴人の三男篠田晟の小作地であると主張するけれども前掲各証拠に照すと右各農地は控訴人の自作地と認むべきで右農地を晟に分与する手段としてその自作地の買収を申出て之を買収の上晟に売渡して貰つたものであることが認められる、右買収は自創法第三条第五項第七号の所有者の申出による自作地の買収であつて同法第一項第三号の本件小作地の買収と同時に一括して買収が為されてはいるがその買収の理由は異なるものである、また右買収農地を控訴人の三男晟に売渡したのは右町委員会が右晟を同法第十六条同法施行令第十七条による買収の時期に於て当該農地につき耕作の業務を営む小作農として売渡したのではなく同法施行令第十八条により右晟を自作農として農業に精進する見込のある者と認めて同人に売渡したものであると認むべきである、右の如く自作地をその親族に分与する方法として右買収並売渡を行うことは之により自作地を形式的に減少せしめることにより小作地の保有限度を増加せしめて真の小作地の買収を免れることを得る結果となる虞があるからかゝる申出による買収売渡は濫に行うべきでないことは勿論であるが、本件の買収は右申出による自作地の買収と保有限度超過小作地の買収を一括して同時に行つたものであるから本件小作地の買収に当り買収し得べき小作地面積を算出するには買収計画樹立当時に於ける全保有農地を基準として右基準時に於ける自作地小作地の各反別を算定しその総反別と三重県に於ける保有農地限度と比較し前者が後者を超過するときはその超過する反別を以て買収し得べき小作地の面積となすべきである、此場合同時に買収される申出による自作地の面積は当然右小作地買収の基準である所有総面積に包含せしむべきであつてこれを右総所有面積から除外すべきものでないと解するのが相当である、右認定に反する原審並当審に於ける控訴本人の供述部分は措信しない。
控訴人は別紙第一号目録記載第六号字日要六九三番田二反六畝二十四歩の中一反二十一歩は小作地ではなく控訴人の自作地であるが控訴人の申出により買収されたものであるから右一反二十一歩は控訴人の所有面積から除外すべきであると主張するが原審並当審に於ける前記証人岡野一太郎、当審に於ける控訴本人の供述により成立を認め得る乙第十四号証、成立に争のない甲第四号証に依れば昭和二十三年二月前記町委員会に控訴人所有の右字日要六九三番田二反六畝二十四歩の中一反二十一歩と訴外一ノ木勘右エ門所有の字宮の前一、二五三番の一田九畝二十九歩との交換契約が右両者間に大正四年三月二十八日成立し爾来互に交換地を耕作しているから双方から右各農地を買収し相手方に之を売渡されたいとの申立が右両当事者からあつたので同委員会は之を承認し本件一括買収に含めて買収計画を立て買収に着手したところ其後に至り控訴人所有の右交換地の地番の表示が字日要六九五番田二反六畝十九歩の中の一反二十一歩の間違で同所を右一ノ木が耕作していたものであることが判明したこと及右訴外一ノ木所有の宮の前一、二五三番の二田九畝二十九歩は控訴人の三男晟を耕作者として売渡したものであることが認められるから結局控訴人主張の字日要六九三番田二反六畝二十四歩の中一反二十一歩の買収は買収目的農地の間違であつて同土地が控訴人の自作地である以上買収できないものであるから一応違法ではあるが控訴人等の申出による買収であつて保有面積超過による小作地の買収ではなく、また右売渡は買収時の小作人に対する売渡ではなく町委員会の認定による農業に精進する耕作者に対する売渡(自創法施行令第十八条)であるから控訴人所有の小作地買収の基準である所有総面積の算定に当つては該農地を控訴人所有農地の総面積中に算入するのは正当であつて控訴人の右主張は採用しない。
左様だとすると本件小作地買収計画樹立当時の控訴人の花岡町地域内に有する農地の総面積は別紙第一号目録記載の如く三町一反八畝十三歩で内自作地の面積は一町六反九畝十二歩(字日要六九三番田二反六畝二十四歩は全部自作地と認め同字六九五番田二反六畝十九歩の内一反二十一歩を除く)内小作地の面積は一町四反九畝一歩であることが明かである。
(二) 次に控訴人は松阪市大字久保の農地は買収計画樹立当時既に控訴人の所有ではなかつた、仮りに右農地をその当時控訴人が妻篠田みな、三男篠田晟と共有していたとしてもその中現状農地と認められるものは八反二畝十八歩に過ぎないし、右持分は平等であるから結局控訴人の共有持分はその三分の一たる僅か二反七畝十六歩である、仮りに右久保の自作農地が一町八反十歩あるとするも控訴人の耕作面積はその三分の一に当る六反三歩に過ぎないと主張するので先づ右農地の所有関係について考えてみるに成立に争のない甲第三号証の記載に原審証人山本国太郎、岡野一太郎(第一回)大川松雄、片岡乾二の各証言並原審並当審に於ける控訴本人の訊問の結果を綜合すると右土地はもと農林省の所有であつた松阪市大字久保千九百十二番の三山林三十七町五反五畝十歩の一部であつて昭和六年頃訴外花岡町山室の区民が農林省から払下げを受けることになり、控訴人がその払下資金の調達の責任者となり払下代金を支払つて払下を受けたが区から金が出なかつたため、その名義は一応払下について区を代表して交渉に当つた訴外馬場吉蔵の所有としたが開墾のための政府の助成金が少いので区民は開墾を躊躇し控訴人独りで右土地を開墾し且区民に於て右払下代金を支払い得なかつたので農業会清算の際右土地の処分については全部控訴人に一任し右土地についての一切の権利を控訴人に移す決議がなされたこと、その際右土地の所有名義人である馬場吉蔵から控訴人に名義を変更するについては全部を控訴人名義とすることなく将来控訴人の子息を分家さす場合を考慮して三人の共有名義にすることにし昭和七年十二月二十七日馬場吉蔵から右土地の三分の一を売買により控訴人に移転した旨の登記を為し、其後形式上の名義人である右馬場吉蔵に右土地に対する税金が課せられることから売買により昭和十三年十月二十八日馬場吉蔵の持分の中全地三分の一を控訴人の妻みなに、残余の持分全地三分の一を控訴人の実弟訴外片岡乾二に夫々移転した旨の登記をしたこと、爾来控訴人は同人の費用を以て右土地を開墾し耕作に従事してきたことが認められる。
また前記各証拠に前掲記の乙第三号証成立に争のない乙第二号証同第五、六号証、甲第五号証、原審証人篠田晟、馬場助左エ門、武内俊一、当審証人中林民三の各証言を併せ考えると、控訴人はその三男晟が昭和十八年結婚した際将来同人を分家さすためその生活の資として本件土地を同人に分与しようと考へ同人のため右土地に住家を建てゝ此処に住まわせ主として同人等をして右土地の耕作管理に当らせて控訴人等も之を援助しその収益は晟夫婦の生活費に当てると共に控訴人等の費用にも充てゝいたこと、昭和二十年十一月二十六日晟を分家させ、次で同年十二月六日贈与証書により前記片岡乾二の持分たる全地三分の一の所有権を右晟に移転する登記を為したこと、並昭和二十三年七月二十四日(本件買収計画樹立後)控訴人、篠田みな、右晟の三名が連名で右土地を松阪市に寄附した事実が認められる。
右の認定に依て観れば控訴人が本件土地の払下を受け資本を投じて之を開墾し之を耕作管理していたものであること、その登記簿上の所有名義を控訴人とその妻みな及実弟乾二の三名共有名義に登記したのは将来子息を分家さす場合を考慮し便宜上形式的にそうしたものであること、右晟が結婚分家するに及び同人に右土地の三分の一の共有持分権を贈与しその収益を同人等の生活費に当てることにしたこと、控訴人は右贈与後も尚右土地の三分の二の共有持分を保有しその収益を自ら取得していたこと、右土地の耕作は主として晟等に当らせたが控訴人も之を援助し互に協力していたものと認めるのが相当である、右認定に反する前記証人篠田晟、山本国太郎、馬場助左エ門、片岡乾二、武内俊一の各証言部分及控訴本人の供述部分は措信しない、他に右認定を左右する証拠は存在しない。
従て本件土地は本件買収計画樹立当時全部控訴人の所有でなかつたとの主張は理由がない。
そこで更に右土地中農地と認められる部分につき争があるので此点を考へて見るに原審証人三宅喜三の証言に依りその成立を認め得る乙第一号証同第四号証に原審証人岡野一太郎(第一回)三宅喜三、寺田貞雄、藤田政次郎、間柄周太郎、西村勝、大東末吉、篠田晟(第二回)当審証人中林民三の各証言に、原審に於ける検証の結果を綜合すれば本件買収計画を樹立した昭和二十三年二月十一日当時右土地の中農地と認められる部分及面積は原判決添付別紙図面記載の通りでその耕作面積は合計三町九畝歩余であつてその中(い)、(へ)、(と)、(ち)、(り)、(ぬ)、(る)、(つ)、(ね)、(む)、(ゐ)の計一町八反十歩は控訴人及晟等に於て耕作し、其余は他人に貸与していることが認められる、右認定に反する右証人篠田晟、山本清八の各証言部分は措信しない。
控訴人は右土地は収穫不定の土地で保有農地として算入すべきものでないと主張するが原審鑑定人藤村次郎の鑑定の結果に依れば右土地に於ける甘藷の収穫見込量は反当り平均三百貫で三重県に於ける平均反当三百八十貫に比し大差なく、土質も土地の取扱を適当にすれば普通の作柄に達し得ることが認められるから収穫不定の土地とは認め難く控訴人の右主張は採用し得ない、而して控訴人等の耕作する前記一町八反十歩につき控訴人は三分の二の共有持分を有するのでその耕作面積も之に相応する三分の二たる一町二反六歩であると解するを妥当とする。
果して然らば控訴人が右買収計画樹立当時その住所花岡町の区域内に於て前記一町六反九畝十二歩の自作地、一町四反九畝一歩の小作地、松阪市大字久保に於て一町二反六歩の自作地合計四町三反八畝十九歩の農地を所有していたことになり所定の保有面積二町二反を超過すること二町一反八畝十九歩に及んでいること明かである、右は農地保有限度を超過するものであるからその超過面積に相当する控訴人所有の小作地は買収できること勿論である、而して成立に争のない甲第四号証同第十一号証同第十二号証前掲乙第七号証原審並当審証人岡野一太郎の証言に依れば右町委員会が本件農地買収計画に於て控訴人の所有小作地なりとして買収を決定した農地は一町四反二畝二歩(別紙第一号目録記載の小作地但第六号字日要六九三番田二反六畝二十四歩は全部自作地であつて内一反二十一歩の買収及篠田晟に対し売渡した分「同目録第一三、一四、一五、二二、二三、二五号分(合計六反六畝七歩)」は小作地買収でないことは前段認定の通りである第二七号の字尾ケ谷二八二九番田一反三畝二十二歩は全部)であることが認められる、しかしながら右の中字尾ケ谷二、八二九番一反三畝二十二歩は前記乙第七、八号証及甲第四号証に依れば本件買収計画樹立当時その全部が田ではなく内三畝二十二歩は現況原野として右買収計画から除外さるべきであることが認められる、従て右原野の買収は違法であること明瞭であるから右原野の買収計画決定は取消を免れない、けれども前記町委員会が控訴人所有の小作地なりとして買収計画を決定した一町四反二畝二歩から買収の対象とならない右原野三畝二十二歩を差引いた一町三反八畝十歩については前記控訴人所有の小作地総面積の範囲内であり且控訴人の前記法定保有限度超過農地二町一反八畝十九歩の範囲内であることも明かであるから右町農地委員会が控訴人の右小作地に対し買収計画を樹立したことは適法である、然しながら右町委員会が前記字尾ケ谷二、八二九番一反二畝二十二歩中現況原野である三畝二十二歩につき小作農地として買収計画を決定したこと及前記字日要六九三番田二反六畝二十四歩中一反二十一歩につき前認定のように字日要六九五番田二反六畝十九歩中の一反二十一歩を買収すべきを誤つて之を買収計画決定に入れたことは何れも違法であつて取消さるべきものである、然るに被控訴人がこれ等の点の違法を看過し右町委員会の右買収計画決定全部を認容し控訴人の訴願を棄却する裁決を為したことは一部に違法があると謂わなければならない、依て控訴人の本訴請求の一部は理由があるが其余は理由がないから右請求全部を棄却した判決は失当であつて変更を免れない、仍て民事訴訟法第三百八十六条第九十六条に則り主文の通り判決する。
(裁判官 中島奨 石谷三郎 県宏)
(目録省略)
原審判決の主文および事実
主文
原告の被告三重県農業委員会に対する請求はこれを棄却する。
原告の被告国に対する訴はこれを却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「被告三重県農業委員会(当時は同県農地委員会以下同じ)は同被告が原告に対してなした昭和二十三年七月二十八日付の裁決を変更して三重県飯南郡花岡町農業委員会(当時は同町農地委員会以下同じ)のなした別紙目録記載の農地に対する買収計画を取消さねばならない。被告国は右農地について自作農創設特別措置法による買収をしてはならない。訴訟費用は被告等の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、訴外花岡町農地委員会(以下町農委と略称する)は昭和二十三年二月十二日原告所有の別紙目録記載の農地(以下本件農地と略称する)につき自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)により買収計画を樹立し、これを公告したが原告は右計画に不服であつたので右町農委に異議の申立てをしたところ同町農委はそれを棄却したので更に被告三重県農地委員会(以下被告県農委と略称する)に訴願したが同被告は昭和二十三年七月二十八日付で次の理由で右訴願を棄却する旨の裁決をした。即ち原告は住所地たる花岡町地域内に自作地一町一反五畝二十二歩、貸付地一町九反七畝四歩の農地を所有し、なお松阪市字久保に三十八町九反七畝十歩の土地を所有し、右土地は原告において開墾し栗、梅等を栽培しているものであるが右土地のなかには現状農地と認められる部分が一町一反以上あるから自創法第三条第一項第三号によつて小作地たる本件農地は買収せられるべきものであり、従つて町農委が本件農地についてなした買収計画は妥当であるというのである。しかしながら右裁決理由は甚だしい事実誤認に基いている。即ち
一、本件農地についての買収計画樹立時たる昭和二十三年二月十二日現在における花岡町地域内の原告の所有農地であると被告県農委が主張する別表記載の農地のうち、
(イ) 字水こき二二九一番の農地は訴外篠田晟の耕作地であり且つ又そのうち一畝二十七歩は水路及び道路敷地であつて農地でない。
(ロ) 字砂田二六一、同字二六二、同字二六三、同字二六五番の合計四反九畝十六歩は原告の所有であつたが訴外倉口常松所有農地と交換した結果、右農地は同訴外人の所有となり、原告はその代りに同訴外人所有の字根後一九九五番の田八畝二十一歩、同字二一九四番の田三反二十二歩、字地具一九九六番の田一反四畝二十二歩以上合計五反三畝五歩の農地を得たが右農地はいずれも本件農地と共に買収せられ原告はこれを承認した。なお右のうち字砂田二六一、同字二六二番は篠田晟の、同字二六三、同字二六五番は訴外坂井善一郎の耕作地であるから、原告はこれに対し何等の関係がない。
(ハ) 字笹岡五六二番、字日要六九三番のうち一反二十一歩、字六条ケ谷六八九、字中瀬一一九五、同字一一九三、字水こき二二九一(前叙(イ)の水路及び道路敷地一畝二十七歩を含む)、字尾ケ谷二八二九、同字二八六一番の一の合計八反五畝二歩も本件農地と共に買収せられ原告はこれを承認した。
従つて右(ロ)(ハ)の農地は原告の農地保有限度に算入すべきものでなく、結局原告農地保有限度に算入される花岡町地域内における原告所有農地は原告自作に係る字日要六一二、同字六一三、同字六一四番、同字六九三番のうち一反六畝三歩、同字六九四、同字六九五、字権限後七三七番のうち六畝、字宮の浦一二四四、字神の里一二七九番の三、字小池の口七七三番(三〇八番とあるは明白な誤記と認める)の農地合計一町一反六畝十八歩及び小作地たる本件農地六反六畝十歩総計一町八反二畝二十八歩のみであり原告は花岡町内には他に農地を有しない。
二、松阪市大字久保(通称篠田山)の土地は山室耕地整理組合の耕地整理地区に属し、一部は第三者の所有地であり、それ以外の部分は登記簿上は昭和十三年十月二十五日以降は原告、その妻みな及訴外片岡乾二の共有(持分平等)であり、昭和二十年十一月一日に右片岡乾二がその持分を篠田晟に譲渡したことになつているが、篠田晟は原告の三男であり同人が昭和十八年に現在の妻を娶る際、独立して生計をたてるため右久保の土地全部の譲渡を受け、右久保地内に分家して右土地を耕作し、それより生ずる収入を以て生計の主たる資にあててきたもので買収基準時の昭和二十年十一月二十三日以前より右晟の単独の自作地であつて、原告はこれを耕作もしていないし所有もしていないのである。
右の如く久保の土地は右基準時前より晟の単独所有であるが仮りに登記簿上原告、その妻みな、晟の共有となつており晟の単独所有たることを第三者に対抗し得ず原告は右土地につき三分の一の持分を有するとしても右土地は収穫不定の土地であるから原告の保有農地に算入すべきものではない。たとえそうでないとしても右土地のうち別紙図面中(い)、(は)乃至(ぬ)、(わ)乃至(よ)、(そ)、(な)、(ら)の部分計二町二反七畝二歩は昭和二十一年五月以降開墾又は肥培管理を施した土地であり、右基準時当時は未だ農地としての体をなさず、僅かに(ろ)、(る)、(を)、(た)、(れ)、(つ)、(ね)、(む)乃至(の)の部分合計八反二畝十八歩のみが稍農地の体をなしていたにすぎない。従つて原告が松阪市大字久保において所有する農地は右農地と認められる八反二畝十八歩に対する登記簿上の持分たる三分の一即ち二反七畝十六歩にすぎない。
叙上の如く原告の保有する農地は最大限叙上一、二の合計二町一反十四歩にすぎず、三重県における農地保有限度二町二反以下であるから、右原告所有農地中より本件農地につき買収計画を樹立することは許されないのである。従つて右買収計画を適法なりと認めた被告県農委の前叙裁決も亦違法であるから取消されるべきものであることは明らかであり、被告国が本件農地を買収することも許されないところである。よつて被告県農委に対しては裁決の変更を、被告国に対しては本件農地の買収禁止を求めるため本訴に及んだと陳述し、なお本件農地については買収令書の交付を受けていないと附陳した上、原告主張に反する被告県農委の主張事実をすべて否認し、被告県農委の当初における本件農地の買収計画は遡及買収に基くものであるとの主張を利益に援用し、爾後の同被告の遡及買収でないとの主張の変更には異議を述べ、なお被告県農委は前叙久保の土地のうち荒廃せる部分を原告が松阪市に寄附したと主張するが原告は晟の父として後見の立場から右寄附につき松阪市と交渉したのであつてこれを以て原告が該土地を単独所有していた証左とすることはできないと述べた。(立証省略)
被告県農委訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求め、答弁として、原告主張事実中訴外花岡町農委が本件農地につき買収計画をたて、原告がそれに対し異議申立をなし、同町農委が右異議申立を棄却したこと、原告が被告県農委に訴願を提起し、同被告において原告主張の日にこれが棄却の裁決をしたことは認めるが、其の他は同被告が後叙の如く認める部分を除いてすべて否認し、花岡町農委が本件農地につき買収計画を樹立したのは昭和二十三年二月十一日であつて右買収計画はいわゆる遡及買収ではない。而して計画樹立当時において原告は(一)住所地花岡町において自作地一町八反三歩、小作地一町三反八畝一歩(但し後叙の如く原告の所有農地の交換分合後の農地反別に基く)(二)松阪市大字久保(通称篠田山)において自作地一町八反十歩(別紙図面中(い)(へ)(と)(ち)(り)(ぬ)(る)(つ)(ね)(む)(ゐ)の部分)、小作地一町二反九畝十歩(同上図面中その他の部分)、合計三町九畝二十歩を所有していた。而して右(二)の農地は登記簿上松阪市大字久保一九一二番の三山林三十七町五反五畝十歩と称せられる土地の一部であつて、原告は昭和七年四月当時官有林であつたのを払下げを受けて公の補助費及び自費を投じて一旦全部開墾し、昭和十年その工事を完成して畑として梅、栗、柿、枇杷等の果樹を植培し、その樹間に麦、大豆、大根、甘藷等を栽培し収穫を挙げてきたが人手不足のため今日では荒廃し一部は他人に貸与して耕作せしめ、自家経営としては前叙の自作地を耕作しているが実際の労務は原告の三男たる訴外篠田晟が主として当つているようである。而して右土地のうち農地と認むべきものは別紙図面の前叙三町九畝二十歩であつた。なお右図面の土地を除いては他は荒廃しており国家的見地より未墾地として買収するを適当と認められたので三重県及び関係地区農地委員会において調査に着手したところ原告は該土地も既墾地である旨主張して買収を拒み、昭和二十三年七月二十四日急拠松阪市に代金十万円で売渡した。しかもその際売買の名を避け寄附という形式をとつたが対価は獲得しているのである。原告は最初右土地については原告、その妻みな及び三男晟が平等の持分をもつて共有する旨主張しながら後に至り原告及びその妻は昭和十八年その持分を晟に譲渡し爾来晟の単独所有となつたとその主張を変更したが被告県農委は原告の最初の自白を利益に援用する。しかも登記簿上は右三名の共有(持分平等)となつているのみならず、実際においては原告は昭和二十一年五月頃訴外三宅喜三に対し右農地の一部を貸与した外自己の意思に基いて外数人に同所の農地の一部を貸与し、昭和二十二年八月一日の農業調査の申告にも長男甚夫名義で原告世帯における経営反別を十町歩(右農地の畑を含めねば十町歩の田畑を有しない)とし農業従業員として自二十歳至四十歳男子二名(長男の甚夫、三男晟)、六十歳以上男子一名(原告)と報告していること、昭和二十二年中右土地の果樹よりの果実採取を原告自ら指揮監督していること、右土地の一部を松阪市に寄附するに際しては原告自らこれに当つたことなど該土地については実権を振つて来ておるのであつて原告が事実上の所有者なのである。仮りにそうでないとしても登記簿記載の通り原告夫婦及び晟が平等の持分を以て共有しているのであるから原告は右土地において六反三歩の自作農地を所有していたということができる。原告は昭和十八年原告夫婦の右土地の持分を晟に贈与したと主張するが当時右土地は登記簿上原告夫婦及び片岡乾二の共有名義になつており、昭和二十年に至つて右片岡乾二からその持分を晟に譲渡する旨の登記をしているのであるが、もし真に全部が晟に贈与されたものならば原告夫婦の分も登記せられるべきであるのにこれがなされていないことよりしても原告の主張は詭弁であるといわなければならない。なお原告は右農地は著しく収穫不定であると主張するが被告はこれを否認する。それは果樹の成り年が一年おきに来ることを称するものであつて、かかることは果樹本来の性質であり、本件農地そのものは決して著しい収穫不定性を有するものでない。
なお花岡町農委が本件農地について買収計画を樹立した昭和二十三年二月十一日現在における花岡町区域内の原告所有農地は別表の如くであるが、そのうち字砂田二六一、同字二六二、同字二六三、同字二六五番の農地は当時原告より訴外倉口常松所有の農地字根後一九九五番の田八畝二十一歩、同字二一九四番の田三反二十二歩(小作人坂井善一郎)、字地具一九九六番の田一反四畝二十二歩と交換した旨申出でてきたので右町農委においてこれを認め本件農地の買収計画は右交換分合後の原告所有農地反別に基いてなしたものである。而して右別表農地のうち、
(イ) 交換分合により原告の所有となつた字根後一九九五、字地具一九九六番の農地並びにそのほか字中瀬一一九三、同字一一九五、字宮の浦一二四四、字水こき二二九一は本来原告が長男甚夫三男晟等をして耕作せしめている自作地であるがこれを晟の小作地と看做して買収し同人に売渡されたき旨申出でたので町農委において右原告の申出を認めて原告主張の如く本件農地と共に買収計画をたて原告に買収令書を交付した。
(ロ) 交換分合後原告の所有となつた字根後二一九四(小作人坂井善一郎)、そのほか字笹岡五六二、字日要六九三番のうち一反二十一歩、字六条ケ谷六八九、字尾ケ谷二八二九、同字二八六一番の一は小作地として原告主張の如く本件農地と共に買収し、買収令書を原告に交付した。しかして本件農地を除く買収処分については原告より何等の異議申立なくして確定した。
原告は右農地のうち水こき二二九一番の農地中一畝二十七歩は水路及び道路敷地で農地でないと主張するが、それは原告が自己の都合上そうしたもので被告は自創法第十条により台帳面の地積によつて買収したもので原告の主張は理由がない。
又原告は地主が農地の買収を承認した前叙(イ)の農地は自創法第三条第一項第三号の保有面積の中に算入すべきでないと主張するが、地主承諾の有無に拘わらず地主所有の自小作反別が三重県における保有限度反別である二町二反を超過した場合、その超過小作地を買収すべきことは当然であつて原告主張の誤まれること論を要しない。
これを要するに原告は前叙の如くその住所地花岡町において自小作合計三町一反八畝四歩を所有するのであるからそれだけでも二町二反の超過小作地九反八畝四歩は当然買収されるべきであるからその範囲内において本件農地六反六畝十歩に対し買収計画が樹立されたのは当然である。ましてそれに原告が松阪市大字久保において有する自作農地を加算すればなお更のことであり、原告の請求は理由がないと述べた。(立証省略)
被告国指定代理人は本件の第一回口頭弁論期日に出頭したが何等の陳述をしなかつた。(昭和二十六年十二月十二日津地方裁判所判決)